アカデミー賞で数々の賞に輝いた名作中の名作。
普段こういったタイプの映画はあまり観ないのだが、親がこういったタイプが好きなので一緒に観ることに。
感動だけでなく、主役をSFXによってプレスリーやケネディと絡ませたりするお遊びも面白い。
フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)は生まれながらに知能指数が75しかない。足も不自由で小学校に上がったときからいじめられるなど苦労していた。だがある時から偶然走ることに目覚め、アメフトで進学、アメリカ代表にまでなってしまう。その後もベトナム従軍や卓球の選手など、職をいくつも転々としながら次々と隠れた才能を開花させ、面白いようにそれぞれの世界で活躍してしまう。
しかし彼の胸には秘められた思いがずっとしまわれていた。小学生時代、一緒に遊んだジェニー(ロビン・ライト)への恋。何度もすれ違いながらジェニーに思いを伝えようとする。はたしてこの恋は実るのか。
小さいときに背骨が曲がっている病気と診断され、足も不自由で知能指数は75と、なんとも不幸な生い立ちなのだがそれをあまり不幸として描いてないのがいい。
じめじめしてないし、別に変に開き直ったわけじゃなく、とにかくいつでも前向きなフォレストがすがすがしい。
観るものを惹きつけて大好きにさせてしまうなにかがあるようだ。
フォレスト自身があまり悩まないところがポイントで、この作品の主役はフォレストのようでいて実は違うのではないかというのがなんとなくの感想。
フォレスト自身はいつでも純粋無垢で欲もなく、怒ることも泣くことも笑うこともほとんどない。
ただただいつも朗らかで素直で生真面目で、目に見える世界すべてが不思議だといわんばかりの目をしている。
次々と職を変えて大活躍してゆくが、それで勝ち誇ることもなく、自分は運が良かったのだとか、世の中は不思議だとか考えている。
逆にフォレストに触れ合う人のほうが悩んだり苦しんだりしている。
幼馴染のジェニーや、軍での上官ダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)がその代表で、彼らはフォレストと触れ合うことで揺れ動き、悩み、そして変わってゆく。
彼ら脇役のほうが変化担当であり、主役のはずのフォレストは、職を転々として状況もコロコロ変わるわりには精神的には不動なのだ。
つまりはフォレストの立場から見た、まわりの人々の変化のほうが主役なのではないのかと、そう考えてしまった。
また、この作品では随所で実在の人物とフォレストが共演することになる。
プレスリーやケネディー、ニクソン、ジョン・レノンが出てきて同じ画面でトム・ハンクスと上手くからむわけだ。
合成の技術は現代にはちょっとかなわないので、合成されたフォレストは少しだけ浮くのだけど、そのへんに目をつぶれば非常に面白い。
プレスリーのあの独特の腰つきの誕生秘話などクスリとさせられる。
心憎いサービス&ジョークパートというわけだ。
だが、前述の脇役こそ主役では?という視点からここも見直せば、また違った見方も出来てくる。
プレスリーやケネディの場面にフォレストをゲストさせたのではなく、フォレストの視点からプレスリーやケネディを描いたともとれるのですね。
また、ベトナム戦争や、反戦運動など、60〜70年代の象徴とも言える事柄も数々からんでくる。
有名人や戦争、事件などをフォレストの立場から見直して描いた・・・・・・つまりあの時代のアメリカこそがこの作品の主人公だったのではないだろうか。
純粋無垢な視点から見れば、誰も彼も、どれもこれも不思議のかたまりだ。
観客はフォレストに感情移入しつつ、あの時代にタイムスリップして、その時代に生きていた自分を見直すのじゃなかろうか。
自分はあの時代、なにをしていただろうかと思い出す懐かしさ。
そして、フォレストに見られたら、はたして自分はどんなふうに写るんだろうという自分の再発見。
そんな楽しみ方もあるかもしれない。
あの時代への若干の風刺と、あこがれと、真摯で深い人間描写こそが、この作品の主役なのではないだろうかと、そのように観られました。
ちょっと考えすぎかな?
両親いわく、悪い人はでてこないし、とってもいい映画ね。
風景が綺麗ですばらしい!
とのことでした。
両親も気に入ったようです。
余談。
ほんとかウソかは知りませんが、最初監督候補としてロバート・ゼメキス以外にも数名の名前がリストに上がっていて、そのなかにはなんとテリー・ギリアムの名前まであったとか!
もしテリー・ギリアム監督だったらどれだけブラックなフォレスト・ガンプになっていたことか。
きっとベトナム戦争シーンなんてドロドロのぐっちょぐちょ。カタツムリまみれになってたに違いない!
しかしそれはそれで観てみたかったカモ。