クリント・イーストウッド監督が、『父親たちの星条旗』に続き、日本側から見た硫黄島を描く。
戦争の悲劇を描いたドキュメンタリー風映画というだけでなく、エンターテインメントとしても最上級だ。
海軍が壊滅的打撃を受けた太平洋戦争末期。
孤立無援の硫黄島に新しい司令官として栗林中将(渡辺謙)が赴任する。
合理的で斬新な彼のやりかたについてゆけない旧来派の仕官たちが次々離れてゆくなか、硫黄島への攻撃は本格化し、泥沼の上陸戦となる。
そのなか、最前線で全滅間近の部隊にいた青年兵・西郷(二宮和也)は、退却命令に背いて次々と自決を始める仲間を背に、栗林中将の本隊に合流しようとする。
話題の二宮和也がどんな演技をしているか期待していたのだが、これが期待以上の素晴らしさ。
というよりこの映画の主演は渡辺謙ではなく、間違いなく二宮和也であり、二宮和也のための映画だといって過言ではない。
もちろん渡辺謙も素晴らしいのだが、彼の演じる栗林中将という人格者だけでは、硫黄島の悲劇は伝えきれない。
二宮和也の若々しく繊細な、すばらしく自然体な演技なくして、硫黄島からの手紙の感動はありえない。
どちらかといえば観客は渡辺謙ではなく二宮和也に感情移入し、硫黄島に身を投じて観劇することになろうだろう。
そういった役回りでは、二宮和也という配役は大正解。
驚くほどに自然体な彼の演技には、観客を引き込み、二宮の側に観客をシフトさせるだけのパワーが秘められているのだ。
彼の雰囲気には、若い頃の火野正平を思い出させるものがあった。
これは日本の映画界のかけがえのない財産だろう。
渡辺謙という日本が世界に誇る大スターと、これからが期待の新星・二宮とが出会った幸福な映画であるともいえるかもしれない。
映画本編の感動は、評判どおりで改めて言うまでもない。
本編は戦争という不条理のなかで、潔く散ってゆく男たち、あがきながら無残に散ってゆく男たちの悲哀と、思いを描いた感動作だ。
私が素晴らしいと思ったシーンは、回想のなか、西郷が妻のお腹の子に小声で話しかけるシーン。そして、栗林中将へ無線で送られてくる故郷の子供たちの歌声だ。
もともと涙腺の弱い私だが、これはやられた。
筆致は淡々として大げさにはならない。
それがかえって観るものをひきつけ、感動を呼ぶ。
今更戦争の悲惨さ、狂気、無慈悲さ、残酷さ、悲哀といったところをメッセージにされても、そんなことわかってるよという人も多いだろうが、でもこのメッセージは繰り返し繰り返し伝えていかなければならない事だ。
硫黄島には、忘れ去られてはいけない男たちが眠っている。
発見されていない遺体が、未だ日米あわせて12,000名分もあるという。
この作品を観た人たちがひとりでも多く、鑑賞後に手を合わせて祈りをあげてくれるとよいと思う。