1994年、ルワンダ共和国で起きた内紛を、難民をホテルにかくまう支配人の視点から描く。
「テレビの向うの出来事」が気になる人は、オススメです。
ネタバレ注意
アフリカ中央部の小国、ルワンダ共和国では、フツ族とツチ族という二つの部族が紛争を繰り広げてきたが、一時的に不安定な和平を結んでいた。
しかし、大統領が何者かの手によって殺され、事態は一変、過激なフツ族側の軍と民兵による、ツチ族の大虐殺が始まる。
フツ族出身の一流ホテル支配人ポールの身の回りにもどんどん危険が迫ってくる。
というのも彼の妻は虐殺されるツチ族。親戚や近所の人たちは皆ツチ族なのだ。
いよいよ虐殺の手が迫るそのとき、ポールはホテルに彼らをかくまうことにする。
ホテルには次々と難民が押し寄せる。
西洋人の力で作られた一流ホテルであり、国連軍が警備しているために民兵は手を出せないのだが、事態はどんどん悪いほうへと転がってゆき、いよいよ民兵たちの手がホテルに迫る。
ポールは、自分にもしものことがあったら、妻にふたりの子供をかかえて屋上から飛び降りてくれるよう、約束してくれと言う。
実際に起きた大虐殺を題材にしており、事態は複雑。様々な立場の人間が話には関係してくる。
西洋諸国は自分たちの経済や選挙には関係のないアフリカの小国のことなど感心もなく、次々と引き上げいく。
ツチ族に対する大虐殺も、ラジオを通じて非常に感情的に民兵をあおり行われるが、フチ族トップにとっては政治的な思惑によるものだろう。
主人公が頼ろうとする軍の将軍も、ホテルを守るのは賄賂目当てだったり、アメリカの法廷を畏れてのことだ。
国連軍は無力で、実際に紛争を調停することは出来ない。
様々な立場の人々が描かれるが、この作品は、実際に「誰が悪い」と明確に指摘しようとはしない。
観客が考えるのは自由だし、政治的な意図を汲み取ることもできるだろう。
だが、あくまでクローズアップされ、少なくとも私の胸に迫ってきたのは主人公と妻の必死さだ。
特別かわった主人公ではない、ごく普通の夫婦の愛が、丁寧に描かれている。
大虐殺の中で、がんばって生き抜こうとする悲しい夫婦の愛が、もっとも目に焼きついて、胸に迫った。
大虐殺をもとにした映画ということで、悲惨な場面が多いのではないかと想像していたが、逆にそういった面は押さえ気味に作られている。
制作者は、残虐場面を期待する安易な興味本位では観てもらいたくなかったのかもしれない。
視点はあくまでホテルに立てこもる男と妻であり、彼らは大虐殺に立ち向かうわけではない。ひたすら怯えて、どうにか生き延びようと最善の道を探すだけなのだから、この映画の主題は凄惨な場面にはないのだろう。
直接的に大虐殺を描かず、さらっと「100万人近くが殺された」と言うだけだったりするのだが、恐怖感は終盤に行くにしたがってしっかり迫ってくる。
それはやはり、主人公夫婦を丹念に描いているからじゃないだろうか。彼らの目を通して、この異常事態を感じるのではないだろうか。
象徴的だなぁと思った台詞は、前半のポールとカメラマンの会話。
西洋人カメラマンがスクープした虐殺シーンのビデオを誤ってポールに見せてしまい、カメラマンは謝罪する。
だが、ポールは逆に感謝する。これを世界中の人々が見れば、私達をきっと助けてくれる。
それに対し、カメラマンは悔しげに言う。
「これを見た人たちは、怖いわねって言って、すぐに夕食を続けるだけだ」
毎日のように報道される自爆テロやミサイル爆撃のニュースに、怖いなぁ、ひどいなぁとは思うが、やっぱり私達にとっては遠い「TVの向こう側の出来事」で、すぐに忘れて夕食を続ける。
それはしょうがないことだし、当たり前のことだと思うから、それを変えようとは思わないが、そういう自分が「ダメなのかもしれない」と気になることはある。
そいういう「TVの向こう側」のことが気になる人には、オススメだろう。
報道は「自爆テロで30人が死亡しました」とは言うが、そこに家族のつつましやかな愛があったとは言ってくれない。
そのくらいの事はわかりきっている事ではあるが、あらためて映画として見ると、胸にグッとくるものがあった。
ラストに流れるテーマ曲。もしかするとルワンダの童謡を元にしているのだろうか。この子供たちの歌声がすばらしい。大人たちの悲しみ苦しみ憎悪とは、まったく無関係な、無垢な子供たちの歌声に、涙が自然とあふれた。