いまさら紹介するまでもないタイトルですが、アカデミー賞外国語映画賞、モントリオール世界映画祭グランプリを受賞した日本映画界の宝 『おくりびと』 です。
とっくに DVD も出ているんですが、受賞のおかげでマイカルで上映がされてたので家族で観て来ました。
やっぱり受賞するだけの事はある、なるほど納得の面白さ。
泣けて笑えて心が健やかになれて、今日までちょっと疲れていたけど、明日からは元気に歩いていける、そんな気持ちにさせてくれる素晴らしい作品でした。
オーケストラ楽団が解散になり、職を失ったチェロ奏者・小林大悟(本木雅弘)は、妻の美香(広末涼子)とともに故郷の山形に帰り、職探し。ほどなく求人広告で思いもよらない好条件の仕事をみつけ、面接に向かう。すると、社長の佐々木(山崎努)は履歴書も見ず、大悟の顔をみるなり採用を決めてしまう。
わけがわからない大悟は求人広告を出し、仕事内容を聞く。「あぁこの広告、誤植だな。“旅のお手伝い”ではなくて、安らかな“旅立ちのお手伝い”。NKは納棺のNK」。それは遺体を棺に納める仕事だった。
とまどいながらも強引な社長の勢いに乗せられ、納棺師の仕事を始めてしまう大悟。笑いあり、涙ありの新しい生活がはじまった。
とまぁ簡単に説明しましたが、つーか今更説明もいりませんでしたね(笑)。
さんざんテレビや雑誌で宣伝されてましたから、ここを読んでるような方はみんなご存知のことでしょう。
ということで、ざっと感じたことを書いていきます。
これから観ようかどうか考えてる方の参考にでもなればと思います。
人の死を扱う映画なので、とかく深刻ぶったお涙頂戴ものを想像される方も多いかと思います。
私も最初はそうでしたが、観てみてちょっと驚き。
これがまったくもってすがすがしい、妙な話なんですが喜びに満ち溢れた作品でした。
笑いあり、あたたかい感動あり。
まるで“心のデトックス”!!って思っちゃったんですが、とっても素敵な癒しの映画でしたよ。
まず冒頭部分は笑いが満載。
人の死を笑いに茶化してしまうとは不謹慎な!とお叱りを受けそうなものなんですが、そこらへんは素敵なバランス感覚で回避しつつ、これでもかと可笑しなシーンが続きます。
若い女性の遺体を拭いていると!? とか、教材ビデオ撮影の遺体役のシーンとか、劇場が何度も大きな笑いに包まれましたし、そのほかにも細かくコミカルなシーンが挟まれて始終ニヤニヤしっぱなし。
あれ? 観に来たのってコメディ映画だったっけ? と勘違いしてしまうほど面白おかしくできています。
中盤からの展開は、大悟が納棺師としての仕事の素晴らしさに目覚める過程が描かれ、それとともに周囲の納棺師に対する偏見との戦いが始まるといったところ。
こういう 「誤解を解く」 という展開を入れたのは、納棺師という職業を描く上ではやっぱり避けては通れない道であるというのはそうなんですが、こういうトラブルが生じることで、映画がちゃんと大衆的な娯楽作品になっているんですよね。
死に対する世間の通念を描くとか、そういう社会性をしかめっ面で追究するだけでは、映画がとっつきにくくなって大衆映画としては失格です。
ちゃんとこういう、社会性もこめつつ娯楽性もさりげなくこなしているのが、この映画の完成度の高さなんだと思うのです。
そして広末涼子の 「汚らわしい!」 は世のM男性必見の場面ですよ!<いや、そんなシーンじゃねーダロ!!
そして大事なところなんですが、納棺師っていうのはただ死者を弔うだけじゃないんですね。
むしろまったく違うものとして描かれているように感じたのです。
途中、生前の姿とは似ても似つかない死に顔の女性に、大悟が死に化粧を施すシーンがありまして、いつもその女性がつかっていた化粧道具を娘に持ってこさせるんですね。
このシーンなどを見ると、納棺師という仕事の本質はパフォーマーなんだということがはっきりとわかります。
「納棺」 は、失敗が許されない一度限りの舞台公演みたいなもので、厳粛さと緊張感のなかに美しい所作の流れとリズムがあって、まるで日舞や茶道のような“道”を感じます。
そして時に、アドリブを効かせて見物客――この場合ご遺族ですね――の意向をとりいれ、遺族がもっとも喜ぶ趣向をワンポイント施すことで、死者と遺族の人生を飾る最高のパフォーマンスとなる。
納棺は、人の死の最後を飾る最高の晴れ舞台なんですね。
この緊張感と愛に溢れたサービス精神は見ていて感動を覚えました。
本木さんが一度見てから惚れ込み、いつか映画で演じたいと思ったのも納得ですし、映画公開後、納棺師希望者が増えたなんていう逸話があるのもむべなるかなって思います(笑)。
ここで、私ちょっと思ったのですが、この 「おくりびと」 と言うのは、もしかして死者を死出の旅路に送る 「おくりびと」 という意味ではないのではないでしょうか。
納棺師がパフォーマーとして喜びをもたらしている観客は、「遺族」 なのです。
死者を弔い、その魂を死出の旅路に導くという描写はあまりないように思えました。
死者はなにも思いませんし、何も感じません。
このあたりの魂の考え方については、途中佐々木社長(山崎努)が面白いことを言っています。
「うちはほら、仏教、神道、キリスト、イスラム、ヒンズー、なんでもござれだから」(うろおぼえ)
お葬式という宗教的な儀式を描きながら世界に認められたのは、ここらあたりが絡んでいるんじゃないかなァ、というのは置いておいて。
実際の納棺師がどうかもさておき、この作品における 「おくりびと」 たる納棺師は、死者を送っているのではなく、遺族をこそ日常の中に送り出す 「おくりびと」 なのではないかと、そう思ったのです。
納棺師は死者を清め、いたわりながら着飾らせ、化粧を施します。
遺族はその過程を見ることで、家族の死という衝撃、悲しみ、痛みを和らげ、死者の生前を思い返し、感謝やいろいろな思いを胸に、明日へ歩き出す力を得るのではないでしょうか。
死という非日常から、生という日常へのおくりびと。
悲しみ、痛みの中から、喜び、希望の中へのおくりびと。
死者の死出の旅路ではなく、遺族の人生の旅路のおくりびと、それが大悟の仕事だったんじゃないかなァと。
だとしたら、誤植だった求人広告“旅のお手伝い”もあながち間違いじゃなかったわけですよね。
そして、もうひとつ、「おくりびと」 には送らなければならないものがあるのですが、それは映画を最後まで観た人だけがわかる素敵な物語。
こうやって人の世の営みは続いていくのだなァと、希望に満ちた終わり方で、ホロリと涙をさそわれながらも、明るい気持ちで劇場をあとにできます。
全体に笑いも泣きもテーマ性も、大上段に振りかぶることなく、ごく自然体(いや、それをそう感じさせるのもちゃんとした技術ですよ)。
衝撃的なものやズーンとくるでっかい感動とか、そういう劇的なものはありませんが、肩の力を抜いて気楽に笑ったりホロリとしたりしているうちに、いつのまにかあたたかい気持ちになっている、そんな素敵な映画です。
話題の作品ですし、観て損はナシです。
つーか日本人としてこの誇らしい作品は観ておくべきでしょう。
まぁ、わたしなんかがオススメするまでもなくオススメですね(笑)。
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