いや〜面白かった〜。
【ネタバレ注意!】
ハリー・ポッター・シリーズ最終章。
巻が進むごとに徐々にダークさを強めてきたこのシリーズですが、最終巻は終始暗澹たる辛い物語。
これまで基本的にダークながらも、ちりばめられたウィットや、へこたれない子供達の明るさ、そしてこそばゆい恋模様などなど、楽しい場面はいっぱいあったハリポタですが、最終章はクライマックスにふさわしい緊張感。
終始ダークに、辛く、息継ぎの間もない物語となりました。
これは第1巻の頃のような、お子様向けの物語ではすでになくなっていますね。
まぁ第1巻を子供の頃に読んだ人も、既に大人になりかけているだけの時間は経っていますし、読み手と一緒にハリーたちも、そして物語そのものも成長したということでしょう。
またその暗さというのも、ゆえなくして暗くなっているわけではなく、ハリーを最後の決断へ向けて断固として進ませるための、ごく自然な流れになっているんですね。
実に、いろいろな試練が怒涛のように襲い掛かってきました。
いつものことですが、最初から最後まで目を離せない展開の連続です。
本を置く暇がみつからず、おもわず最後まで一気に読ませてしまう力があります。
特に私が 「これは!」 と思ったのが、ロンとの決別。
物語的に、そこはぼかすのかなと思っていたんですがとんでもない。
ロンの、ハリーに対するコンプレックスというのは、第1巻の頃から誰しもがそりゃあそうだろうと思わずにはいられないところですもんね。
そこをグッサリ問題にしておいて、またそれを克服するのが、ヴォルデモートの分霊箱を破壊することにもなるという実に美しい構成。
ほんと、よく出来ています。
よく出来ていると言えば、この第7巻、これまで出てきた様々な伏線をあっちゃこっちゃから回収して大団円に持っていくという、完結編として理想的な形が実に鮮やか。
思わず、「おお! そういえばそんなシーンがあったかも!」 と唸らされることしばしでした。
「かも!」 っていうのがまたミソで(笑)、さすがに以前の巻を読んだのが年単位前ともなると、そうそうちょっと出ただけの人の名前とか、ハリーでもよく考えてみないと思い出せない昔のシーンなんて、こっちは細かく覚えているわけもありません。
でもなんとなくそんなことがあったかもと、思わされるだけの印象度は植え付けられていたと思うと、なかなか J.K.ローリング先生の伏線術は卓越したものがありますね。
さりげなく、かつ、印象的に伏線を張るというのは極めてバランス感覚を必要とする仕事でしょう。
いままで散りばめられてきた謎が次々と手繰り寄せられて解決してゆくこの爽快感!
この快感を改めて噛み締めるためにも、最初からもう一度読み返してみたくなる。
そんな最終巻でもありました。
また、ラストを盛り上げる大戦闘の舞台となるのが、やっぱりハリーの心のふるさとであり、我ら愛読者がもっとも深く心をむすびつけられた場所、ホグワーツというのが素晴らしい。
それこそ、他にそれに相応しい場所があるわけもないですよね!
そして、敵味方ともに、その大戦闘にふさわしいだけの大陣営。
まさかハリポタでここまでド派手な戦闘が見られるとは思いもよらなかった壮絶な魔法合戦に、手に汗握る思いで大興奮してしまいました。
いや〜まさにエンターテインメントの王道の大決戦です。
七巻を数える長大な物語のクライマックスに相応しい盛り上がりでした。
このホグワーツ戦争は、是非映画版で見たいシーンのひとつですね。
また奇麗事では終わらず、死ぬべき人ではない人が次々と死んでゆくという厳しい展開には、唖然としながらも実に納得。
そうでなくてはおかしいですものね。
そしてそうだからこそ、最後にハリーが自らの命を投げ出す必然が生まれるわけですし。
さて、この巻というか、この全シリーズを通して強烈な印象を植え付けてくれることになった人物といえば、それはもうスネイプ先生を置いて他にはないでしょう。
彼の命を懸けた深い愛、苦痛に耐える強靭な心、そして最後まで信念を枉げない絶えざる勇気。
彼ほどに屈折しながらも、彼ほどにまっすぐ自分の信じるところを歩んだ男は、この物語上他にはいないんじゃないでしょうか。
実は私は第一巻の頃からスネイプ先生が好きだったんですが、彼は、表面どおりのイヤなヤツでは絶対ないと、彼には絶対裏があると私は信じ続けてきたんです。
ゆえなくしてあれだけ屈折している訳がないと、そう信じ続けてきたんですが、まさかまさかのこの真相!
第33章 プリンスの物語 を読みながら、私はもう快哉を上げながらも、涙を止めることはできませんでした。
「これほどの年月が、経ってもか?」
「永遠に」スネイプが言った。
最高だ!
スネイプ先生大好きだーッ!
ダンブルドア先生の言うとおり、組み分け帽子は判断を早まりすぎる時があるようです。
セブルス・スネイプほど、グリフィンドールに相応しい男はいなかったと、今なら確信を持って言うことが出来ます。
スネイプ先生の魂よ、安らかに!
さて、ちょっと私的な話になってしまうんですが、第2巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』 が映画化されたころの話。
映画ラストシーンでハリーにハーマイオニーが抱きつき、しかしロンに抱きつこうとしてちょっと迷って手を差し出すという、あの有名なシーンがありましたね。
私は友人数名と見に行ったんですが、あのシーンでハーマイオニーは将来どっちとくっつくかで意見がふたつに分かれました。
というか、ハーマイオニーとロンがくっつくと予想したのは私一人で、他のメンバーは全員当然ハリーだろと言っていたんですね。
私としては、ああいう戸惑いで二人の距離感を演出しておいて、あとになって意識させるからこそ面白いんじゃないかと、そう主張したのですが、友人の一人、あめじん閣下いわく、
「女心がわかってねぇな BOSS (笑)。あれは絶対脈がないって。つか、主役とヒロインなんだからくっつかないと話にならないじゃんか」
という会話があったのですが、ふっふっふ。またもわたしの先見の明が証明されましたな(笑)。みたかあめじん!(笑)
しかし、当時の私が主張していた説も珍妙でした。
「ハリーは普通の女の子とくっつくべきじゃないんだよ。普通の女の子とくっついたって物語が動かないじゃん。むしろその女の子が殺されれば話は動くけど、ハリポタでそこまでやらんだろうし。ハリーがくっつくべきは敵の女だよ。たとえば、ヴォルデモートの孫娘とかね! それでロミオとジュリエットやって、最後はふたりでヴォルデモートを倒すんだよ!」
え〜、なんでしょうねこのアホな妄想野郎は(笑)。
でも、今考えると、これはこれで面白かったかなとも思いますが(笑)。
その当時、まさかジニーがあんな重要キャラになるとは思いもよりませんでしたね〜。
でも私的に、ジニーはかわいいけどちょっと影が薄いんですよ。
最終巻ではあまり活躍できなかったのがちょっと残念です。
ヒロインの座を、ハーマイオニーから奪うことが出来なかったんですよね(笑)。
ヒロインといえば、おそらく正式にはハーマイオニーなんでしょうけど、私としてはハーマイオニーはヒーローであってヒロインじゃないのです。
ちょっとヒロインの語義的にはおかしいんですけど。
語義的には、女性のヒーローなんだからヒロインでもいいんです。
しかし私としては、ヒーローを主役にする物語においては、ヒロインっていうのは象徴的な意味を持つと感じるんですね。
恋愛対象であったり保護対象であったり、騒動の渦の中心だったり、物語の重要なトリガーとなったり。
そういった意味ではハーマイオニーはヒロインではなく、ヒーローなんですよね。
あくまでハリー、ロンとあわせて3人で戦ってゆく3人組のヒーローなんですよ。
だから、この物語においてはヒロインの座っていうのは空席だったような印象があります。
なら、ジニーは充分その座を狙えたんでしょうけど、しかしハーマイオニーがそれをさせないだけの存在感で、物語の中心部分にデーンと居座っちゃってるんですよね。
あわれジニー、自己主張の激しいハーマイオニーのおかげでヒロインになりそこねた少女……。そんな印象がありました(笑)。
ほんと、もうちょっと活躍させてあげたかったなぁ〜。
それにしても、これまでの長大な物語をきっちり収束させる大団円、お見事でした。
いや〜満腹満腹。
おくればせながら、J.K.ローリング先生、お疲れ様でした!
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